開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

読んで読んだことを話し合う

ぼくが参加している読書会は、石川県立図書館が古くから推進している読書普及活動グループに所属している。子供への絵本などの読み聞かせは活発になっている感じだが、社会人の読書普及を目的にした読書会活動は、衰退傾向にある。最近では白山市が抜けてしまった。読書は啓発を促されるところがあり、感受性を深めたり、思わぬ発見から自主的な学習へと進むこともあって、読書会は有意義な時間を共有できる場になっている。ほとんどの大人は仕事を離れると、世間話以上の会話の場がほとんどなくなる。歴史や哲学っぽい、ちょっとした知的な話は、何か特別なサロンが主催されているような稀有な場合を除いて、ほとんど不可能に近いのではないだろうか。ところが読書会という方法があったのである。

ぼくが地域の読書会に参加して3年が経った。先月県立図書館読書グループが主催する「本を読む仲間の集い」という合同読書会があった。毎年あって3部会の一つは、三島由紀夫没後50周年から晩年の短編「蘭陵王」を取り上げていた。カズオ・イシグロノーベル賞を受賞した年は「チェリスト」を取り上げたりしてタイムリーな選出もしている。「蘭陵王」は楯の会の訓練での一コマが題材であり、夕食後の団欒時に、三島に心酔する隊員が「蘭陵王」という雅楽曲を横笛で演奏するのを聞いて、純粋な「戦闘」に浸るというような心境小説になっている。この短編の発表の翌年に例の自決が行われていることから、当然のように三島の最期との関係に関心が集まる。文学作品と市ヶ谷駐屯地での「事件」とは区別されるべきだが、この作品をどう読むかには読書会ならではの議論が期待されたが、県立図書館の指導役の「先生」はその方向に話が進むのを避ける感じがあった。ぼくは隊員が自分の敵と隊長の敵が違う時は戦わないと言ったことを作品に書いていることに、三島の躊躇を見たが、それをうまく発言することができなかった。

やはり読書会にはある程度先導する役割を担う人が必要だと思われた。そしてそれが読書会には一番難しいところだ。小説を読んで読んだことを話し合うことは、意外に高度な精神活動なのかもしれない。

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