開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

自分を知るための冒険

最近ブログに書いてきたことで、自分がどういう人間か真実が見えてきた気がしている。小学校までは自我が生まれていないので、両親や学校の先生やクラスのみんなと穏やかな一体感があって幸せだった気がしていた。ところが、実際は表面化しない妬みを持たれていたと最近回想する中で気付いた。中学へ進むと周囲は優しいばかりではなかった。周りの妬みの圧力が臨界点を越えて、急に孤立するようになった。自分の殻に閉じこもるようになったのと、周りから隔たりを感じるのとどちらが早かったかは分からない。とにかくいつも一人だった。60年代のアメリカン・ポップス在日米軍向けの短波ラジオから毎日浸るように聴いていた。オーティス・レディングのアルバムを買い求めるくらいの理解が中学生にできたのは、黒人の虚しさや悲しさに共鳴する心があったからだと思われる。心に空虚が育ち始めてやがて、世界文学全集で世界の思想や文化が空虚を埋めるように入ってきたのだと思われる。空虚がなければあれだけ激しく没入しなかったと思う。そして急激な世界文学からの思想のようなものが、ぼくを改めて周囲との距離を作った。もう両親との自然な、肉親の濃密な関係は崩れ去った。もう自然な言葉使いをせず、標準語を意識的に喋っていた。方言のアクセントを捨てた。だからあの頃から無国籍な人間になったのだ。

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