開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

目覚めた人になろうと決めた

メランコリーな少年が、強制収容所生活を経て、刑期を終えて出所後に、ようやく自由に生き始める人生が自分の人生のように思える。それは自分の心の声を唯一の真実として、湧いてくる想いに忠実になることを方法として「書いてみること」で自覚された人生だ。現実の自分を素材にして、時代と身体と国家の中で自由を目覚めさせる、哲学と文学の偉大な力を借りて行う冒険でもある。現実の自分は卑小なモルモットにすぎないが、本を読むことが出来るし、母語で感じて考えたことを書くこともある程度出来る。日本人として生まれたが、既に世界の情報に日々晒されて世界同時進行の環境の中にいて、無国籍な感性に育ち、受容する事実に耐えられずメランコリー体験の後、形式としての日本人になった。生きるに必要な武器は情報、思想、歴史を読み解くリテラシーであり、必要な信条は自分と家族と仲間を失わない行動と、他者への愛とフェアネスである、、、と、ここまでは書けた。大筋のぼくの物語だ。さてどうやって物語を始めるのか?始まりはどこにあるか?始まりは、ぼくの生きている今にしかない。物語であってもありのままの現実が出発点になる。かつて、小林秀雄は、小説を小説と思って読むなと言った。小説という物語は小説の現実の背後に生の現実があり、小説を通して生の現実の方を読まなければならないと諭した。もっともなことだ。生の現実のぼくは、強大な見えない暴力と真実を覆い隠すマスコミのもとに無力だ。いや違う。もっと何も見えなくて、あっけらかんとした平板な日常だ。このままでは他人に動かされ、自分の人生を盗まれそうだと気づいて、目覚めた人になろうと決めたことをここでもう一度振り返りたい。

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