開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

自分を入れて距離をとる世界観

一昨日のブログ「目覚めた人の世界観」で、アメリカの大統領選挙を巡るトランプ対バイデンの抗争について、不正選挙を暴くトランプ側に正義があるとしてコメントしたが、それは自分のコメントとしてするべきではなかったことについて今日書いておきたい。つまり考えを改めたいと思った。主な理由は、不正選挙についての情報を日本の保守系ブロガーの人たちから得ていたぼく自身の状況が、ネットでは彼らしか詳しい情報を発信していなかった面もあってそれだけを見て判断して、原理的に考えて見ると現象的判断だったと反省させられた。それはアメリカの民主主義に対する無知からきている。民主主義という制度ないし理念を無前提に、非歴史的に良いものとして受け止めていたからである。公正な選挙という民主主義の原則を守るか守らないかの現象にとらわれて、トランプ側の利益と反トランプ側の利益の対立という、本質が見えていなかった。不正選挙をしてまでもトランプを政権から落とそうとした理由を考えていなかった。いわばどちらも資本家の利益であって、労働者大衆の利益とは区別されるべきだった。テキサスを中心とする製造業資本と、金融資本と結びついたGAFAの情報産業資本との利益対立が南北戦争以来の内戦状態に進んでいる、と見るべきであった。不正選挙自体は歴史的に南北戦争時代からあったらしい。つまり、判断にはどうしてもそれまでに掴んだ知識に影響されるわけで、生半可な知識で世界情勢のような大きな問題には取り組まないほうが懸命なのである。しかし、誤りはあるものとして自分の判断を検証、更新することはいいことかもしれない。つまり、適切な距離を保つことが大事であると思う。保守系のブロガーの人たちは、アメリカの問題は身近な問題として関わるべきと主張していたが、目覚めた人なら関わるべきでないとすべきなのだ。