少し唯川恵を誤解していたようだ。46歳になって「肩ごしの恋人」で直木賞をとった時に、「軽すぎる」とした評者がいたのに対して、これまで深刻な作品が多かったので軽めの作品を書きたかったと述べていたのをぼくは意外に感じていた。「淳子のてっぺん」「恋に似たもの」そして「肩ごしの恋人」と読み進んだこともあって、唯川恵が深刻な小説を書く作家とはとても思えなかったからだ。確かめてみようと今回「雨心中」を読んでみた。なんと、重い小説だった。丸山健二ほど重かった。丸山健二はほとんどの作品が重いのに対して、唯川恵は軽いも重いも自在に作品を書き分けられる。だから丸山健二との比較はふさわしくない。
ぼくが感じたのは、唯川恵はあらゆる女性と心中しようとしているのではないかという直感だ。女の武器を使う女と性を超えた恋を生きようとする女、男の世界で女のチャレンジを達成した女、裕福に育った女と世間並みを目指す貧困下層の女等々。一貫するのは欲しいものを絶対手に入れようとする私欲の肯定だろうか?「雨心中」ではカトリック系の孤児院で育った少女と少年を主人公としながら、作中を流れるのは決して神の助けがない無情の旋律だ。ぼくは「雨心中」を読むまでは、唯川恵の小説には魂がないと感想を書いていたが、例えば闇の宗教組織にレイプされ続けたカオルが元の恋人の周也に気づいて自殺するシーンは、魂の劇だと思える。ぼくはこれまで平凡な生活から逃れて自由を獲得して、自立を目指していた。それは、なんとなく平均的な経済状態が前提されていた気がする。唯川恵はその前提を壊して、ぼくの目を開かせてくれた。