開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

どんな本を読んだらいいかを自分で決める

 地元の文化協会加盟サークルは市の生涯学習課から活動費の援助を受けていて、ぼくたちの読書会も毎年活動の申請をしてお金を得ている。今年度はコロナ感染で計画していたイベントが中止となったので、予算がかなり残ることになり予算消化として、メンバー一人当たり1000円の書籍代を分配することになった。それで今日例会があり、まとめて注文するから各自どんな本を買うか聞いてみた。ほとんどのメンバーが買おうとする本がなかった。つまり今読みたいと思って購入して手元に持っておきたい、というような本はないということであった。そうか、日常的に読みたい本が頭にある人はいないのか、と少し残念な気がした。何を読んだらいいか分からず、読む本は人から与えてもらうという受け身の人が多かった。残念なことに、ぼく以外に絶えず何を読むかに意識を向けている人はいないということだった。ひょっとして人には言えないような本をこっそり読んでいる人がいて、外には漏らさないという読書家がいるのかもしれないとも思ってみるが、その可能性は低いと思う。メンバーにマニアックな感じの人はいないからだ。ところで、ぼくはあまり口外したくない本を読んでいる、例えば三田誠広「早稲田1968」などがそれである。このブログの読者の中には知り合いが全くいないので、秘密なことも実は書いている。(ブログを書いていることも知らせていない)三田誠広は高校生の時に「マルクス研究会」を作って仲間とマルクスの本を読んでいる。この本には現実の政治党派名も出てくる。三田誠広の高校時代からの友人は、対立する2党派の片方に属し、おそらくもう一方の党派からテロを受けて高速道路で襲撃されて死亡している。その友人が一度マンションに泊めて欲しいと訪ねてきた時、奥さんが一緒に住んでいるので断り、共通の友人に頼んで車で泊まるホテルを探し回ったことがあったということだ。そういう厳しい時代を通り抜けてきた作家なのだが、小説自体は深刻ではなくナイーヴな感性で書かれており、楽観的ですらある。1968年の10.21国際反戦デーの夜に「新宿騒乱事件」というのがあり、その日三田誠広はデモには参加しなかったのだがテレビの報道を見て、いてもたってもいられず新宿駅方面へ徒歩で移動していてどこかの陸橋で、地響きのような音を聞いたという。それはデモ参加者や不満を持った群衆が駅の線路を爆走している音だった。その時彼は、これは革命運動ではなく、単なる暴動だと悟ったと書いていた。ぼくはその年はまだ15歳で中学2年生で、当然事件そのものを全く知らないし興味もなかった。ぼくが学生運動に関わるのは1972年からの1年間だけなのだが、その時の三田誠広の体験や直感にリアルさを感じるだけの経験はあったと思う。