開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

自我がつくる内面世界

今日「大阪」を読んでいて、作者の柴崎友香の中学から高校時代の自分を回顧する場面が詳細に綴られているのを、やっぱり都会の女子だなと感じた。流石に作家の記憶は鮮明で具体的だった。漫画やテレビ漬けの小学校時代だったのはぼくと同じ環境と思えるが、彼女ほどのめり込まなかった。エレファントカシマシやBAKUTIKUなどのファンだったらしいが、ぼくの時代は洋楽をラジオで聴くだけで、ライブなどに出かけたりというほど都会ではなかった。それだけ直接生で触れる機会がないので、Music Lifeなどの雑誌からイメージを膨らませ、そのイメージを自分の部屋に閉じこもって想像していた。中学から閉じこもりを覚えて、高校でゲーテの「若きウェルテルの悩み」を読んで、婚約者のいるシャルロッテのような年上の女性を想像することに発展していった。高校生で世界文学を読むと当然自分より年上の女性ばかりが登場人物になる。スタンダールの「赤と黒」でも上流階級の夫人が恋愛対象なので、当然女性崇拝的な憧れを育てることになったと思われる。今から思うとどこかに現実離れした女性への思慕の念が、その時に植えつけられたかもしれない。フランソワーズ・サガンの不倫小説などにパリの空気とともに、うっとりしていた雰囲気が今でも心の底に沈殿しているような気がする。ところで最近その頃の疼くような感覚が急に懐かしくなって、どうしてもその正体をつかみたい衝動を覚えるのである。想像上の恋人を迎えようとする初老の自分がいる。その恋する感覚は世界を小さくして、余計なものが目に入らなくさせる効果がある。自分一人ぼっちの世界ではあるが、孤独ではない。それは自我に芽生え始めた頃の雰囲気に似ている気がする。

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