ぼくのブログは2月14日に160アクセスあった他は、1日 4~24の間でアクセス数が推移している。一人の方が複数ページにアクセスする場合もあるし、アクセスしても記事を読んでくれているかどうかもわからないので、多分10人ほどは読んでくれていると思われる。無限大に拡張しているネット世界の中で、わずか10人くらいが訪れる部屋がぼくの発語している空間になるわけだ。そこでどんなことを発信してもいいとなると、わずか10人に聞いてもらえている環境であっても、何かワクワクするものを感じる。こんなことはサラリーマンの時や学生時代ではなかったことだ。高校1年の時、クラス日誌があり担任教師管理のもとで、生徒が順番に日誌をつけていた。基本フォーマットがあってほとんど時間割りが占めていたが、短いコメントを書く欄があった。その頃50人くらい生徒がいただろうか。50人の生徒と担任教諭の間でいわば1日の所感が共有されるのだった。ぼくは現国の時間が好きだった。確か武者小路実篤か、有島武郎か忘れたが白樺派が登場してぼくには新鮮だった。素朴にヒューマニズムと出会っていた。その日その感動を所感に書いたら、翌日担任教諭の数学の時間に、昨日の日誌にメイブンを書いた奴がいたと取り上げた。ぼくは名文だったのかと一瞬得意になりかけたが、迷文の方であって、からかわれたのだった。そんなことがもう半世紀経っていても記憶に残っている。それは確かに迷文だった。誰もヒューマニズムが世界で今一番大切なことだ、なんてコメントしない。あの時は無性に恥ずかしかったが、今思えばヒューマニズムには魂が宿っていて、思想というものに惹かれる自分の性格がそこで芽生えたのだという事実が分かるエピソードだ。今、「白樺派とトルストイ」(阿部軍治著)という本を読んでいる。武者小路実篤がトルストイの思想に心酔して、新しき村を建設した時代のことを読んだ。関川夏央は「白樺派の大正」で、武者小路実篤をあの時代の革命者の先駆けとして位置付けていた。あの頃は15くらいの少年で何も世界のことはいっさい無知なのだけれど、でも意志のようなものは芽生えると思う。武者小路実篤は学習院でトルストイの思想に出会って、生涯その影響下にあったらしい。ぼくはからかわれてすぐに白樺派から離れてしまったが、定年後の今、もう一度白樺派を再評価してみたいと考えている。
今日書きたかったことは、そういうことではなかった。あの頃の少年の魂についてだった。日誌に迷文を書くほど人生の何かに悩んでいて、その当時、現国の先生が担当されていた学生課という相談室があって、そこをしばらく通っていたくらいだった。そこでは英文の老女性教師もいて、なんとコーヒーを淹れてくれていた。「もう一杯いかがですか?」と勧められたことを今思い出すと、当時の高校は生徒を大事に扱ってくれたのかと感心する。あそこでの対等に扱われた時間の、いかにも教育的な厳粛な時間がとても貴重なことのように思える。季節は冬でストーブが暖かく、未来には希望があって時間は永遠に流れていくような感じがしていた。