開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

山本哲士の吉本隆明「日本経済を考える」を<読む>を読む

昨日のブログで、山本哲士氏のページを個人の記録として無断転載した。無断転載しても何の影響もないと思うが、マナーには反することだろう。ただぼくは山本哲士氏の本をまともに読んで理解できる読者ではないし、ことさら連絡をとって転記の許可を申し出るほどでもないだろうと無責任な態度で考えてしまった訳で、申し訳ない気持ちはある。そこでというのも何だが、ぼくの理解の程度を示すことは最低限の応答ではないかと思い、ここで書いてみることにしたい。

1、経済学は、「支配者の学だ」について

これを氏は、はっとさせられた、と正直に述べられている。吉本隆明を誰よりも研究している氏にして、言われてみれば当然と思われることに素直な驚きを感じる感性に、リアルな驚きをぼくは感じる。この一言で言い切る言い方は詩人のものだ。続けて、反体制だろうとそれは支配者の学だという指摘を取り上げる。反体制というのはマルクス主義の経済学のことだ。だからマルクス経済学ではダメで、一般大衆からの経済学という視点から吉本は論じたいと紹介している。それは誰もやったことのないような、魅力的な仕事だとぼくも直感した。そのあとに、氏の独自の方法論が述べられている。『反権力を超える「非権力」の経済理論』をぼくは何となくしか理解できない。おそらく「非権力」の理論は、フーコー研究から得られたのだろうと思う。「経済分析自体が逆転しなければならない」とは、どういうことだろうか?支配者の経済分析をさらに支配する経済を理論化するということだろうか、抽象すぎてよくわからない。

もう一つの方法論が「生活環境の経済理論」だ。吉本との違いは『一般大衆ではなく、「わたし」というプライベートな立場から経済を語る』ことだ。つまりは、一般名称ではなく、この私という主語で語るということで、この転換は流石だと思えた。その具体的な理論展開があれば、おそらくぼくはワクワクして読むことだろう。氏の「ホスピタリティ経済」論は、確かに支配者の経済学に対置しての吉本経済学を超える地平を築くと思われる。

2.3.円高ドル安:グローバル経済における企業と生活者について

この感想は後日に。