金曜日、泉野体育館のテニス教室で現代テニスでのサーブを教わる。土曜日、野々市中央公民館で李恢成の「哭」の読書会を開く。日曜の今日は、野々市スポーツランドでテニス仲間とダブルスを楽しむ。3日連続でそれぞれ違う仲間と外で会って交流した。こんなに外に出るのは、しばらく前には考えられなかった。外に出るにしても一人で図書館に行ったり、散歩したり、外食したりがほとんどだった。妻がまだ会社勤めだった頃のウィークデイはほとんど一人で誰とも会わなかった。あの頃と生活感覚はまるで違った感じがする。確かに焦燥感のような感じはなくなった。毎日小説は読み続けていたので、小説の虚構空間と孤独な生活感のない日常が溶け合うような感覚はあった。それはそれなりにふわふわした感覚がして、楽しかったかもしれない。今日ブログに書こうとしたのは、そのふわふわした感覚を取り戻そうと思ったからかもしれないと気づいた。今日テニスが終わって帰って遅い昼食の後、何となく元気がなかった。妻はぼくがつまらなそうな顔をしていると言った。十分楽しんだはずなのに、それぞれ仲間の人たちと楽しくコミュニケーションを取っていたのに、そのあとに軽い虚脱があったのは何故だろう?祭りの後の寂しさのようなものなのか?予定されたことをただ消化することに物足りなさを感じたのだろうか?ごく普通の、小市民的な幸せに満足できないのだろうか?
李恢成の「哭」は、これまで読んだことのなかった在日韓国人の、歴史的な境涯の下の日常が描かれていた。南樺太や済州島や千葉の流山市の歴史が主人公たちの背景として出てくる。近現代史を学校でほとんど学ばないぼくらの年代は、その小説の背景には無知である。李恢成の国籍は韓国であるが、義母と韓国語が通じない。日本育ちなので日本語で小説を書き、芥川賞を受賞している。母国語では書けないのだ。フランスのマクロン大統領は、フランス人の定義を母国語がフランス語であることとしている。その意味でいくと、李恢成は日本人ということになる。李恢成は日本国籍を望まなかった。そのずれの感覚はぼくには本当のところは分からない。李恢成には悲劇の感情があり、ぼくには本物の悲劇の感情がない。
ぼくはやはり文学の世界に生きたいと思っているらしい、、、