開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

読む本で自分をつくる

いつも言っていることだが、自分に関わることだけにやることを限定すれば自由にできる。政治は社会や国家に関わることだから、自由にはいかない。戦いの場になって、時には自分の死も覚悟しなくてはならない場面になることもある。相手があることであり、自分が望まなくても引き込まれることもある。自分が時間を注ぎ込める領域を自分の生きていける場に限定することは、考えてみれば当然のことだ。そこで、インプットを限定したいという思いは、定年後の人生を始めてからずっとあった。しかし、これまでうまくいかなかった。どういう自分になりたいかがはっきりしていなかったからだ。それはほとんど不可能なことはそもそも考えないから、どこかでなれそうという感じが持てる自分でなくてはならない。テニスは好きで今でも少しは上達しているから、テニスに関する情報にインプットが自ずと限定される。未だに限定されないのが、読む本の種類だ。世界文学全集が小説を読み始めるきっかけになったことから、自ずと小説読みの基準みたいなものはできているのではないかと思っている。現代小説の原田マハでは物足りなく、ゴーギャンの芸術と人生を知るにはやはりサマセット・モームでなくてはならないというように。読む小説については、これまでも自分の人生経験と似た世界を描いた作品を意識的に選んでいたが、まるっきり真逆の世界にも興味が惹かれてその度ごとに限定枠が崩れてしまっていた。

今なりたい自分とは、居場所が見つかった自分だ。その居場所が限定領域になる。つまり、現在の自分はまだ居場所がなく、無国籍で故郷を失っている、無職の人間だということだ。端的にいうと、ニートだということだ。もうすぐ68歳になろうとする初老のニート(自己イメージとして)だということだ。そのニートが居場所を見つけるために本を読むというのが、ぼくのプロジェクトだ。