今日は午前中読書会の理事会で、午後からテニス教室だった。今日のことを夜、湯船につかって思い出していた。理事会はぼくが会長なので話の進行を担当した。約2時間近く話は活発に進んだ。どうしたら新しい会員を迎えることができるか、このままでは「高齢化」でメンバーは確実に減少する。既に2名が体調の具合から退会を申し出ているのを何とか引き止めている状態だ。ぼくは議論をリードした。読むだけじゃなくて書くことが必要だと。書けば書いたものをどこでも誰にでもいつでも見せることができる。場所が限定されないのが、新しい人の目に触れる可能性を増すことになる。少しぼくの発言は熱を帯びだしていたかも知れない。そしてぼくは「議論」したかったことに気づいた。ぼくは読書会に参加したのは、ただ本を読みたかったのではなく、誰かと「議論」したかったのだ。
一方午後のテニスでは、最後のコーチの講評というか、練習メニューの課題について見本のプレーとコツの解説があった。ローボレーについてだった。ノーバウンドで取れなければ、下がってワンバウンドで取ればいい、というコーチの指摘はぼくには発見だった。今日の教室が終了してから、側のメンバーに聞こえるように「後ろに下がる発想はなかった」と呟いた。それは自分には聞こえたがその人には聞こえなかったか、意味が分からなかったのかスルーされた。それが自分には傷つくことだった。ぼくは仲間と学びを共有したかったのだ。そんな小さなことが意外にも気分を落ち込ませた。それはここのところなかったことだった。午前中は仲間と一緒だったし、午後は孤独になった。