開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

日本の歴史が分かり始める体験

定年後の暮らしをサラリーマンだった頃に描いてた時、読書三昧のイメージが一番先に来ていた。本に囲まれて毎日明け暮れるのがいいと思っていた。今思うとそれは、まさに昭和のイメージだ。インターネットというものがなかった時代と読書三昧の生活は親和性がある。そういえば、いつ頃からか源氏物語を読みたいと思い始めたのは、もう読書三昧が無理だと思い始めたのと同じことなのかもしれない。手当たり次第に読みたい本を読んでいっても、源氏物語のような古典には手を出さなくなるという予感がしたと思う。谷崎潤一郎現代語訳の源氏物語中央公論社文庫で5巻揃えていた。ずうっと30年以上本棚に入ったままだった。今読み出さなかったらもう死ぬまで読まないかもしれないと思いつめてやっと、3ヶ月前から読みだした。自分一人では途中で挫折しそうだから、読書会の仲間を誘って始めることにした。読書会には源氏物語を読み通したというお婆ちゃんが幸い二人いた。

やはり源氏物語は手強かった。特に谷崎訳のは格調を意識しているためセンテンスが長く、主語も原文のまま補われることなく訳されることが多く、しばしば他の作家の源氏訳を参照しなければならなかった。一番入りやすかったのは「窯変 源氏物語」を書いた橋本治の源氏だった。夕顔までは「窯変」のお世話になった。なぜ「窯変」という言葉が付いているかといえば、紫式部の世界が橋本治の世界に作り変えられているからだ。光源氏が一人称で書かれていて、追体験がしやすいように状況が具体的に想像できるように工夫されていて、登場人物の描写が脇役まで手を抜くことなく訳し込まれている。谷崎訳ではぼんやりとしか分からないことが橋本訳だと手に取るように分かるのだ。古典文学はとにかく分かることがスタートだと思う。まるで英文読解のような読書体験をしているようだった。

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