開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

人生はゲームのように勝ち負けか?

人生に敗北はない、くたばらなければいいと書いてきた。しかし、敗北に気づくことは正しさを引き受ける人間だけができることだ。スポーツにおいては勝敗は明確である。勝敗にはそれぞれ原因があって、勝ちたければ負けの原因を把握して、原因を一つ一つ潰していけばいい。それは実際的にカラダを使って行わなければならない。原因が分かっただけではだめだ。単にスキルだけの問題ではないのはカラダを使うからだ。健康とはいえぼくのカラダは68歳のもので、カラダの硬さはどうしようもない。ストレッチや筋肉トレーニングも必要になる。カラダづくりまでほとんどしてこなかった。せいぜい腹筋と腕立て伏せを無理をせず、思い出した時にやっていただけだ。、、、肝心なことを今気づいた。ぼくの敗北はスポーツの試合(ゲーム)のことを思い浮かべていたが、自分一人のことを問題にしてもそもそもだめだった。つまり、相手がいることを忘れていた。スポーツは競争なのだった。自分より相手の方が能力が上回っていれば負ける訳だ。他者がいて、他者と比較してゲームが決まるということがそもそも嫌になっている。競争から降りたから定年後の今のぼくの人生がある、と思っていたが競争は実際は死ぬまでつきまとうのかもしれない。スポーツのゲームはすぐに終わって、人生ほど続かないからいいのかもしれない。人生も一生のゲームだと思って取り組むとしたら、幾つもの小さなゲームに分解してそれぞれのゲームの勝敗を見ればいいのかもしれない。だけど相当しんどいことだ。でも自分の人生を退屈しないで過ごすには、人生のゲームを闘うべきなのかもしれない。