今から思うと、ぼくの人生の中で、38年間のサラリーマン時代は特殊な閉鎖社会に閉じ込められていたような感覚がする。経済的には現実世界と繋がっていたのだろうが、文化的で自由な環境からは断絶した、社長親族を中心とした村社会に繋がれていた気がする。個人に発する表現の自由はなかったし、無断で移動することさえもできなかった。ぼくは生まれてから誰からも親からでさえ、お前呼ばわれされたことがなかったが、社長からはお前呼ばわれされたことがあった。しばらくどうしてそう呼ばわれなければならないか、理解できなかった。「どうして俺はあんたにお前呼ばわれされなきゃならないんだ?」それぐらい突っ張れるほどの馬鹿な無鉄砲さがあればまだ良かったが、ぼくは真面目な性格なので自分の方に原因を求めた。ぼくが報告しなかったから、そう呼ばれることが相応しいらしかった。報告しないだけでそんなに非難されることなのか。いつでも何から何まで自分の行動を報告する義務があるというのか。「俺はあんたの使用人か?」ぼくはその時、それまでの自分が属していた世界が、自分の思っていた世界とは別の、古いいびつでかた苦しい世界だったことに気づいて愕然としたのを覚えている。周りの世界がガラガラと音を立てて崩れていくのがわかった。それは本当に予想していなかった人生の出来事だった。自分にとってそれから自分を立て直すためにもがいた2年間ほど充実した時期はなかった。何しろそんな古い世界から解放されることだけを考えれば良かったのだから迷いはなかった。今その時期が自分だけに与えられたドラマのように思える。今から思えば逆説的だが、やることが明確で楽しかった。