開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

壁の内側にあるもの

会社で個人の自由を奪われている自分は借りの存在だとみなすことを外在化と呼ぼう。会社の拘束から離れて自由な存在に帰ることを内在化と呼ぼう。内在化された自分は自分のものであり、改めて作り上げることが始まる。ぼくが社長の一言から壁を作って始めたことは、自分で自分を創ることだった。魂の世界ともいうことができる。ぼくはその時ゾーンに入って夢中になった。生身の生物的人間は親の創造物だが、自分の意思で創る自分はいわば人工的人間だ。思考によって人間になる想像的人間だ。ぼくは自分の内部に想像的人間を創ることに夢中になった。ぼくがどんな人間にもなれると想像するとき、いったいどんな人間になるのか?女性にモテたいとか、金持ちになりたいとか、そういう具体性がぼくにはなかった。何か違う人間になりたかった。学生時代にマルクスに出会っていることで、抽象的人間のDNAがぼくの細胞に入り込んでいた。世俗的な肩書きを持たない「ただの人」になりたかった。それをマルクス主義者ならプロレタリアートと呼ぶだろう。しかしぼくにはプロレタリアートは違和感があった。「ただの人」の方が自由があった。しかし考えてみると、なりたいと思って何かになろうとしてもなれない人間の方が圧倒的に多いだろう。すでに選択肢は限られている。「ただの人」というのはニートのことではないか。想像的ニートというのはどうだろう。外から見たら会社員という組織的な人間だが、中身は想像的ニートという存在がその時のぼくに相応しい。