開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

「スカーレット」を読む

水橋文美江 作「スカーレット」、水田静子 ノベライズを昨日読み終えた。この前のブログで下の3分の1ぐらいで読めなくなったと書いたが、途中で辞めてしまうのがためらわれた。個人の趣味で読む小説だったら、おそらく中座も気にせずに縁がなかったで済ませただろう。しかし水橋文美江さんとは地元のある人を通して講演会をお手伝いする関係が作られてしまっているので、自分の趣味で辞めるわけにはいかなかった。

さて、読了しての感想は純文学系の小説読みの者からすると作り物感がして、実際の陶芸家、神山清子の実人生はそうではないだろうと反発したくなった。この前のブログにも書いたように、テレビの視聴率を気にして書くのを文学の下に見るというのが最初の受け止めだった。しかしその考えを改めさせるだけのものがあった。一人の女性の半生を描いてみせる手腕、登場する彼女の家族、様々な出会いをもたらす重要人物が全て意味を作り上げて「大河小説」のように楽しめた。関西弁での会話の妙が生き生きして臨場感がある。何よりも「幸福な生活」が綴られていて、不幸に馴染んでいるぼくの人生にある意味衝撃を与えた。小説を追体験するような読み方だとつい自分の人生と比較してしまうのだが、「スカーレット」では多くの不幸な小説とは違って、幸福な、やり遂げた人生を見せられて落ち込んでしまったのである。スカーレットの半生は濃い人間関係で作られており、一方ぼくの人生はほとんどをなんとなく過ごし、薄い人間関係で取りこぼしばかりの人生に思えた。水橋文美江は幸福な人生を本質において知っている。ぼくはそれを知らずに生きてきた、、、

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