開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

会話文とは

水橋文美江脚本のノベライズをここのところ読み始めて気づいたことがある。水橋文美江さんはシナリオライターだ。シナリオというのは会話で進行する。会話があることで役者があるシチュエーションで行動できる。無言のまま行動することもあるだろう。しかし無言のままにいることはできない。パントマイムという別の表現ジャンルになってしまう。会話は話すことの一部分だ。独白という場面もある。告白する時は神の前だったり、恋人だったりする。でも地の文のように独白したり、告白したりすることはない。会話文と地の文は区別される。そこで改めて会話文とはなんだろう、とぼくは水橋文美江のノベライズを読んで考えることになった。ぼくは話すことは苦手だけど、書くことは好きだ。書くことには自由があり、自分が解放される感じがして好きだ。けれど、話すことになると途端にしどろもどろになる。予め話すことを用意しておかないと話に詰まってしまう。例えばデートで話題がなくなって途方にくれたりする。村上春樹の「ノルウェイの森」で、主人公が直子とデートで東京の街を歩きまわるシーンがあったのが思い出されるが、ぼくも最初のデートで金沢の街を卯辰山浅野川沿いを歩き回った記憶がある。歩いている時は会話が別に弾まなくていいので楽だという思いは、誰でも感じていることなのだろうか。水橋文美江は会話の名手だと思う。彼女を知って会話文を集中して学んでみたい気がした。