もうどうやってその人のブログに至ったかは忘れてしまったが、文章が上手くて読むとその人らしい流れや勢いが感じられて、あとで読めるようにURLを保存した。読者になれば済むのだが、その人のブログ読者は6人だった。どうして、いい事を書いている割に読者が少ないのか疑問に思ったら、素直に読者登録がためらわれた。投稿数は1495にも上るベテラン者だ。読んでいくうちにコロナに感染して入院し、その顛末を書いているらしいことがわかった。その中の記事で、闘病の時の事を退院してから周囲の人たちに話して聞かせていて、その話の反応などから自分を客観視できるようになった経緯のことが書かれてあって、ぼくにはその客観視できた経験が印象に残った。コロナ感染者という特殊な体験には言わばコンテンツが満載されている。それをありのまま伝えようとしても伝わらないことがあったんだろうか。貴重な経験の中にも自虐的なオチを考えたりして、相手を共感や納得に導こうとしている。できるだけ正確に伝えようとして自分を客観視することに意識的になったのだろうか。普通、ここまでブログに書くことに意識的になる人がいるものなのだろうか。ぼくは自分はどうなのだろうと、考えてみないわけにはいかなかった。ぼくのブログは主観的にしか書いていない、と思った。自分を客観視した途端、凡庸な自分が現れて忽ち無力感にとらわれる。幸いコロナ感染という経験からは免れている。身近に感染者はいない。妻はワクチン接種2回目で少し副作用が出てちょっとだけ慌てたりしたが、どうということもなかった。
客観か、主観かはどちらがリアルかに関わってくると思うのだが、それは経験の種類によって異なるのかもしれない。ぼくの経験したことは何とか定年までサラリーマンをやってこられたことぐらいか、、、、