開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

高校時代に永遠化されたもの

今から思うと、ぼくの高校時代の3年間は他の時期とは著しく違っていた感じがする。事実だけを振り返れば、受験勉強に明け暮れ、同級生とは突っ張り合い、文化祭や修学旅行などのイベントがあった。事実はぼくの外側を記録するに過ぎない。ぼくにはあの時期に文学的と形容するような内側の経験があった。それはその時期だけの、とても奇妙な空間に思える。自我という主観的なこころの領域が、不思議で貴重で自分の根っこのように感じる。厨二病では片付けられない価値があると思う。単なる妄想と言ってしまったら、そこから芸術的なものは生まれないだろう。表現はそこからしか生まれてこないと思う。ただ表現には技術が必要で磨き上げられなければ形象化できない仕組みになっている。そして技術は客観的である。ぼくには表現の技術力が足りない。それは厳然たる事実だ。でもあの頃のぼくの心に生まれていた情念はまだ消えてはいなかった。まだ燃えていた。青春の憧れる力は体の芯に残っていた。美に憧れるというのと少し違う気がする。綺麗なだけではないからだ。甘やかさがあって、痺れるようであり、悩ましさを伴い、少し悲しみが混ざっている。大自然に開かれたというより、画家の工房のような狭さの中で夢見るような空間である。祈りの空間のようだ。そうだ、祈りの行為に一番近い感じがする。祈りの中の、高校時代に永遠化されたものをいつか、形象化してみたい。

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