開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

想像した未来はやがてやって来る

我が石川県出身の科学者に中谷 宇吉郎がいて、彼の「災害は忘れた頃にやってくる」という名言がある。(あとで調べると、寺田寅彦の言葉で中谷宇吉郎が広めたということだった。)ぼくは「想像した未来はやがてやって来る」ということを言ってみたい。災害を想像するとやがてやって来る災害に対処できるのではないだろうか。忘れていなければ災害がやって来ても対処できるのではないだろうか。災害はこれから起きる未来の出来事ではあるが、過去何回も起こっている。だから未来といっても馴染みのある過去でもある。未来を想像するといっても、全く過去に経験していないことを想像することは出来ないように思われる。

ぼくの未来には何が待っているのかと想像してみると、今より人間関係が広がっていく気がする。ちょうど読んだ本が多くなっていくように現実の出逢いも、読んだ本がその都度ぼくの意識を更新させるのに呼応して増えていくのではないかと思われる。今日たまたまNHK横溝正史の「獄門島」を観た。ぼくには文学、それも純文学が芸術で時代小説やミステリーやいわゆる大衆小説などのエンタメものは、下に見る傾向があった。

テレビドラマで本ではないのだけれど、原作は本としてあるわけだから広い意味で本を読む体験の中に入れてもいいと思う。「獄門島」は原作がミステリーでテレビドラマは完全に大衆的な娯楽の範疇である。しかし、今日観た「獄門島」は芸術作品であり、反戦ドラマとしても見ることができた。いかに謎を作り出し謎を解いてみせるかの芸術だと思った。これでぼくの純文学だけが芸術だとする偏見が溶けた。

このようにこれまでの偏見が溶けるとおそらくぼくの未来も新しく拓けてくると思われる。そういうことを「想像した未来はやがてやって来る」で、言いたかった。

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