地元ラジオ番組に地域のイベントなどを紹介する枠があって、この前出演を依頼された。市の文化課で訊いたらしく、ぼくが今年から会長になった読書会主催の講演会を紹介したいということだった。でもぼくは本番の緊張感に耐えられないと思って、はっきりお断りした。担当者はそういう方もいらっしゃいますねと言って、代わりに前会長に出てもらうことにした。会長失格なのだが、マイクの前でとんでもないことを言いそうで自信がなかった。今日、前会長の肉声を聞いてその判断が正しかったと思った。そもそも小説を読むのは、現実の避けがたい常識的な時間から逃れたいのだから、ラジオで淀みなくそれらしいことを話すのは苦痛以外のなにものでもない。
どういった趣旨で方丈記の講演会を開くのかとインタビュアーが訊くと、コロナなど感染病が蔓延したり、東日本大地震や津波の被害にあったり、毎年のように台風で河川の氾濫などに見舞われたりしている現代と、方丈記が書かれた800年ほど前の京都と災害の面で同じような状況だったことから、災害で心が折れそうな経験をした現代人に、古典文学からの学びがあるのではないかと考えた、というようなことを途中で何度も詰まりながら喋ることになったと思う。当時の京都で天災(日照りと台風、洪水による飢饉、はたまた疫病という感染病で)わずか2か月間に平安京内だけで死者が4万2300余に上った。それは死者に念仏の言葉だったかを紙に書いて貼っていたから、数字は割と正確だったらしい。大火や竜巻で家屋は跡形もなくなっている。この辺の記述はその場にいたかのように生き生きと書かれている。だがしかし、方丈記が書かれたのは晩年の57歳だった。つまり大半の災害の記述は回想で書かれている。
それはどういうことを意味しているのだろうか?自分の実人生は不遇であった。歌人としても認められず、出家して悟りを開こうと修行もするが、方丈庵で風流に独居して暮らすのもいいかと思う。自分と世間の人々の人生を振り返って、災害に見舞われて流転する都市の人々は安定というものがなく無常であったと感じる。方丈記を書いてみて、これは全く個人的な見方だが、鴨長明は自分はまだましだったと自分を慰めているのではないだろうか?ふとそんな凡人の感想を持った。そのような、とんでもない事を言いそうなので、ラジオのような生放送がダメなのである。