以前にもNHKの朝ドラを毎回見続けていると、このブログに書いたことがある気がするが、今朝放送の朝ドラ「おかえりモネ」の新次さんの言葉が胸に刺さった。「俺はなー、元に戻ることだけがいいことだと思えねーんだよ」「立ち直らないまんま前に向くことができんだろ、みんなそうだろう」という息子の呼びかけに対し、「みんなそうだよ。だけど」と父はその言葉を言ったのだった。みんな復興、復興というけれど、俺の人生ってものがある、と新次さんは掛け替えのない自分と奥さんの人生を守りたかったのだと思った。奥さんのミナミさんの死亡届に判を押すことで、奥さんと一緒に築いた海の暮らしを永遠化したのだ。それが新次さんの津波という天災に対する、人生を賭けた回答だった。9年間も苦しみ抜いた後の決断だった。全てが次の世代である若者になびいていくような表層の空気に抗して、しぶとい大人の潔い身の処し方にぼくは喝采を送りたいと思った。そういえば新次さんの名前は、新しいに次と書くネーミングになっている。
定年退職した後のぼくも、これまで「若者になびいていた」かもしれなかった。少なくとも若い頃の自分に戻ろうと虚しい回想を続けていた。しかし、定年という現実を全身全霊で受け止めるには、一度死ななければいけないのだ。
● 追記(2022年1月10日)
このブログを書いてから随分経って、岡映里さんの『「治癒すること」と「復興すること」』という記事を読んだ。岡映里さんと「おかえりモネ」は何か関係があるように思えた。新次さんの生き方の選択と、岡映里さんのリカバリーの選択には共通性があると思った。ひょっとして「おかえりモネ」の主題の一つに、岡映里さんの経験が生かされているのではないかと感じた。