開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

満たされない午後

ぼくの人生は多少の振幅はあっても、今になっては良くも悪くもなく平凡そのものだったと思える。だけど、平凡に満足するには非凡なものがいると思う。平凡な日常に満たされない思いが募ってくるのは致し方ないのだろう。定年後の日常の中では今日はまだ変化があった方だ。金沢の少し山の方に入った別所というところに、美味しい蕎麦屋があって昼は妻と一緒に「十割蕎麦」を食べた。ぼくは鴨南蛮で妻は山菜そばを注文した。鴨肉は6切れも入っていて柔らかだった。山菜は近くの山から採って来たものだと思われた。出汁が美味しく、湯飲みに蕎麦湯を足して二杯飲んだ。満足して出て、別所から犀川沿いの大桑にある「ぐるぐる広場」まで行って車を止め、犀川河川敷を散歩した。ランニングやウォーキングや散歩をする人にちょうど良い間隔ですれちがった。時間はゆっくり流れていた。1時間ほど散歩して、ケーキを買って帰宅した。ストロベリーパイをコーヒーと一緒に食べた。このストロベリーパイは、薄いパイ生地の上にのったジャム状より少し柔らかめのイチゴが、生クリームとよく合うので、いつも買っているものだ。

こんな風に午後を過ごしたのに、終わってしまうとなんだか満たされていないのを持て余している。どうしてなのだろう?心が贅沢になってしまったのか?ドラマのような日常が欲しい、、、何がぼくの心を満たしてくれるのだろう?

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