このブログでは自分の心に埋もれている事柄を、あるきっかけから探り当てようという欲求が生まれ、心の赴くままに書いてみようとすることが多くて、今日もそんなきっかけが訪れたので書いてみたいと思う。今日車から見える金沢の風景が優しそうに感じられたのが、そのきっかけなのだが、それは今日のぼくの心が穏やかだったことの反映に思われる。心を一つの器と考え、器から外に向かうのをinside out、外から器に向かうのをoutside inと呼ぶことにすると、inside outの方が気力が充実して自分を取り戻せていると感じる。逆にoutside inは外に何もなくて寂しい感じがするのである。外から何かを取り入れようとするのだが何にもないように感じて、寂しくなるのだ。inside outの方は心の中が充実しているので、外も生き生きと穏やかに見えるのだ。ぼくの人生を振り返ると大学を出て就職してからがoutside inに転換したように思う。社会人になるとoutside inばかりになった気がする。
今定年退職して年金生活者になってみると、inside outにまた転換しているような感じがする。ほとんど外のことを気にしなくても済むようになって、器の中にずっといて、いろいろな事柄を溜め込んでいるからかもしれない。outside inの時は金沢が田舎のように感じて東京に憧れていたと思う。しかしinside outの今は金沢が肌に合ってどこも自分の庭のように感じる。東京への憧れはなく、金沢とあまり違わない気がする。要はこころ次第ということ。それはただ心だけとする、唯識の教えでもある。
inside outを一言で説明するとすれば、目標を持って計画通りに実行することだと言える。内側に溜めていたものを計画を立てて、外に出す流れがinside outなのだ。ある意味外はどこでもいい。とにかく最初はどこでもいい。うまくいかなければ別のどこかにすればいいのだから、、、