開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

自分と「同じ」があるもの

今日このタイトルで書こうとすることは、ぼくが集中力を持って取り組める条件についてだ。この条件を外すと途端に力が抜け、ぼんやりとして一人取り残されたような虚しい気持ちになる。自信に満ちている時と、気弱になっている時の違いは何なのかと探っているうちに気付いた事柄である。だからぼくにとっては重要な気づきになる。、、、もったいぶらないで結論を言おう。結論は、自分と同じ要素が相手や対象の能力にあると感じたらOKというものだ。

具体的にいうと例えば、テニス教室でこれまで数人のコーチについて習っているが、現在のコーチは自分と「同じ」と思えるところが複数あった。あまり大声で話さなかったり、ほとんど怒ったことがないとか、一言で修正すべきところを指摘してくれる、というようなことだ。あまり一般的なことを言われてもこちらに入って来ない。しかし要所をズバッと言って、それにこだわって何とかやっているうちに解決したりする。そんなことが重なるとこちらは相手にリスペクトを抱く。

英語はコーチはいないが、独学ではあっても自分と相性の良さそうな人から学んでいる気がしている。随分とその師は変わってきている。まだ誰ともピッタリとした感じがつかめてないのは、自分と「同じ」ものがその先生に感じられないからだと思える。あまり一般的だとやはり飽きてくる。英語は特にモチベーションの維持が難しい。例えば、英語は英語で考えろと言ったりする。しかし長年日本語で考えているわけだから、考えるのはあくまで日本語だと思う。英語と日本語の違いを日本語で徹底的に考えて、それで英語の独特の思考法を英語で分かるようになりたい。reading,writing,speaking,listeningのうち最初はlisteningだと思っていた。まず相手の言うことが聞き取れなければ始まらないと考えたからだ。しかし喋ったことのない言葉は聞き取れないし、意味のわからない言葉は音だけの記号にすぎず耳にそもそも引っかからない。やはり1語1語の言葉を覚えていくしかないのかと思って、ボキャブラリーを増やそうと暗記しても、あまりの単調さに飽きてしまう。ぼくは今のところ和文英訳とか英作文にきっかけがありそうだと思っている。まず日本語と英語の違いが瞬時に分かるからだ。英語を読むだけでは違いはあまり意識されない。読むのは何となく英語のまま理解することもできそうな気がするが、書いたり話したりする時は英語独特の言い回しを引き出して来なくてはならない。変な言い方だが、英作文の方がやはり英語を意識する。(読んでいる間は自分が「外」に立つことはない。)どこかの有名な塾の先生がactiveとpassiveに単語を分けて単語帳を作っているらしいが、activeの方が実践的で手応えがあるように思う。英作文の方が実践的だと思う。英語を書いたり話したりする自分をイメージして英語を習得したいと思う。