開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

あなたはどちらの共感が強いですか

It is easier to sympathize with sorrow than to sympathize with joy.

最近また英語学習に目覚めてきて、たまたまこのphrasesに目が止まった。悲しみに共感するのは、喜びに共感するより容易いというのだ。確かにそうは言えると思う。なぜなら、悲しみに共感するのは自分を変化(前進)させなくてもいいからだ。悲しんだからといって、その人に援助するかといえば殆どしないと思う。自分とその人の物理的な距離は隔たったままのことが多い。精神的には一時共有されるかもしれないが、長続きしないだろう。喜びに共感する方は、嫉妬と闘わなければならない場合がある。純粋にその人の喜びに共感した後、自分とその人の隔たりに意識が行くと自分が小さく見え自分の無力感を感じるかもしれない。その人の喜びに自分も共感して自分もその人のように頑張りたいと思うのであれば、自分は成長できるだろう。つまり現状の自分を向上させるために自分を変えようとするだろう。

話はこれで終わってのいいのだが、例えば、仏陀やキリストやアインシュタインのような偉人になると、悲しみへの共感の方が自分を変えるのではないかと思えたことも付け加えたくなった。もともと王子で富者だった仏陀が抱いた悲しみは、一大宗教家に変化させた。アインシュタイン原子力を兵器に利用されたために起こされた戦争の悲惨に、深く動かされたはずだ。喜びへの共感より悲しみへの共感の方が偉大だったと言えるかもしれない。私はといえば小心者なので、偉人たちとは別次元で悲しみに共感する方が多い。というか、世の中の悲惨さの方に心が向いてしまう。しかし、最近になって喜びに共感する方を意識的に増やそうとしている。資本主義の良い面にも心を開こうと(批判は必要だが)思っている。資本そのものは悪くないと、山本哲士氏から教わったからだ。