開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

コロナとどう向き合うべきか

金沢工大の I 先生に講演依頼することになった。今年の柳澤金沢学院大学名誉教授に引き続いて、来年の3月に行われる公開文学講演会での市民向けの講演になる。I 先生の専門は大学のホームページでは国文学と教育学となっていた。以前に源氏物語で講演された記録があったから引き受けてもらえそうなのだが、今日午後5時過ぎに大学に講演のお願いの電話をしなくてはならない。また源氏物語にすると国文が続くのでもっと気軽でカジュアルなテーマにしたいという漠然とした希望が、わが読書会のメンバーから出されていた。できればコロナパンデミックという現況を切り取る断面から、文学に求められる心の支えみたいな抽象的な要望を出す人もいた。この二つのニーズは矛盾するし、現実がコロナで抑制されているから、お気楽に明るくという気持ちと、救いが欲しいという重い気持ちで、真逆であるような気もする。でも文学が受け持つのは後者の方だと思える。落語や漫才だと笑えるのに文学だと笑いはあるにしても単純ではなさそうだ。恐怖や不安に耐えるにしても、笑って過ごしてしばらくして忍耐から解放されるのであればいいが、もうまる二年になろうとするコロナ禍の場合は笑い続けるのは難しそうだ。いやそうでもないかもしれない。テレビをつければお笑い番組が絶える時間がないほど、どこかでやっている。テレビは現実を現象面で見せるが、本質は覆い隠す。大事なことは隠す仕組みになっている。

文学だけは大事なことを示していると思う。但し読むという精神的な活動を必要とする。テレビでは誰もコロナの本質的な原因について触れない。ウィルスと人類の関係についての文明論的な観点や、生物学的な知見の基に考察するという視点は全く見られない。少しでも良識ある大人なら、愚民化政策が進行しているのは誰でも気づいていることだろう。コロナは環境破壊と同じ文脈にあるし、資本主義の搾取が地球そのものに向かっていることの反映であると、大きな視点で研究する現代の賢者が現れてもいいのではないか。コロナとどう向き合うべきかをそういう視点で考えるべきだと思う。