開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

新年にあたり

新年にあたり68歳の今現在、このように在ることにどのように感じているかを書いてみたい。今書いているこのブログ空間はすでに5年目に入ろうとしているが、自分を見つめる時間と場所を提供してくれていてありがたく感じている。ブログを書くという習慣が身につかなかったら、一層狭い日常に閉じ込められて孤立して過ごしていると思う。ネット環境がなかった頃、ノートに吐き出していた文章はただノートを埋めるだけで誰の目にも触れ得ないから、生きることはなかった。しかしこのブログにはサラリーマンを定年退職してからの4年分の文章が堆積している。ほとんど読まれることのない「定年退職者の手記」は、ごく稀に1日のアクセス数が250くらいになることが数回あった。どのように読まれているかは分からない。面白くて読まれていると素直に受け取ることもできるが、ぼくの過去を何らかの目的で調べたのかもしれない。それはさておき、今の自分がさしたる出世をせず、大学で得るはずであったパスポートも活かせずにさしたる仕事もせず、ただサラリーマン人生を屈辱にも耐えながら定年まで過ごした半生であったのを、どう評価するのか。あまりにも無駄に過ごしてきたかもしれない。無口で短気な父の放任主義の職人家庭に育ち、勉強以外で友達と遊ぶ機会もなく世間知らずの大人になってしまっていた。父はそれでも二人の息子を大学までやり、一人の娘にもきちんとした就職口を世話していた。ぼくは親不孝をしたという気持ちがある。父に尊敬の念で、特に大学に入学以後、接して来なかったからだ。父はやはり無駄に生きることはなく、精一杯の勤めを果たして死んだと思う。あまりにも感謝せずに過ごしてきてしまった。愛情を示すようなきっかけが平凡な日常の中で、あまりにも少なかった。医者になって出世した弟は、地元に残らなかった。晩年認知症になった時、弟が家を出て配偶者の実家の近くで家を建てたのを奪われたようになじっていたのが、情けなかった。でも仕事を辞めてからも老後の生活資金が足らないのがわかって、65を過ぎて仕事を取りに回って稼ぐことができたのは手に職を持っていたからだ。自分で各家庭を回り、大工仕事がないか訪問営業していたのだった。そのおかげで今母は何とか自宅で過ごせている。そのおかげでぼく達夫婦は、特段の介護の必要がなくのんびりと過ごせている。また、まるで学生みたいな「今年の目標」なるものを立てられるというものだ。