私は自分を変えたかった。色々手を出しては長続きしないので最低限に絞って、同じことを繰り返してその領域を極めたいと思った。目移りするのがいけないから、情報を遮断したかった。すぐにちょっと面白いと思ったら見てしまう、影響されやすい自分を変えようと思った。そんなことを繰り返していては、自分が何者にもならず、何事もなし得ず人生が終わってしまう恐怖を感じ出した。情けないことにそうやって実行しようとしてたてた目標を既に破りたくなっている。目標を立てるとそれに縛られるから、早々に嫌になってしまうのだ。年末から正月にかけてテレビとYouTubeばかり見ていた。テレビはNHKばかりだったが、みんな面白かった。100分deパンデミックや東大寺の旅や自然百景を見た後には充実感を覚えた。山本五十六の軍縮会議のドラマでは、改めて戦争に向かった昭和の歴史に惹きつけられた。YouTubeではゾルゲ(尾崎秀実)事件の真相を調べたい欲求に囚われた。とにかく影響を受けやすい。斎藤幸平の「人新世の資本論」を半分くらいまで読む。論理的に丁寧に論を進めていた。なぜ脱成長コミュニズムにたどり着くのか、彼がマルクス主義者だからでは勿論ない。あくまで結果的にそうなったのだ。マルクスの自然科学への研究が経済学以上に真剣だったみたいだ。物質代謝という概念は単なる知識ではない。実体のある運動せる精神のようなものだ。ぼくは大学時に出会った、梯明秀の物質の自己運動を思い出した。同時にあの頃の知的熱情の雰囲気までも思い出して、無性に懐かしくなった。、、、ここでも影響を受けやすいのだ。歴史は繰り返されるというが、決して同じものが繰り返されるのではない。歴史は不可逆的に進む。ある時質量が限界点に達し地震のように激変する。資本主義はもう終わっているとジジェクは言った。今あるのはゾンビとなった資本主義だと。しかし、ゾンビにとりつかれたくはない、いくらぼくが影響を受けやすいといっても。弱者では取り憑かれてしまうから、強者にならなくてはならないとぼくは思う。少なくとも知的には。