開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

内部と外部と

これはぼく自身の問題で、何か現実的なきっかけとか必要があってのことでもないので、あなたがもし読んでくれたとしても伝わることがあるとは思えない。けれども、こんな抽象的なことが問題になっている事実を示したい気持ちがある。それは内部か外部かという問題なのだ。内面世界と誰もが共通に見ている外面世界のどちらに生きたいかという問いなのである。今泉野図書館から2冊の本を借りている。「大洪水の前に」と「唯識の心理学」だ。今年の読書目標で、1番目が「人新生の資本論」で2番目が「精神分析入門」で今、後者の136ページまで進んでいる。「大洪水の前に」と「人新生の資本論」は斎藤幸平の本で、「唯識の心理学」は岡野守谷の本で、「精神分析入門」はフロイトの本となっている。前2冊が外部、後2冊が内部を扱っている。ぼくの興味が2つに分かれているのだが、これが問題になるのはどちらか一つにしたいという思いがあるからだ。分裂した状態が多少しんどくなっているみたいなのである。斎藤幸平は本当に画期的な仕事をしたと思う。難解な資本論の論理の背景にある、思想的に一貫するマルクスの深い想いに通底していることが分かって、ぼくにとっては初めてマルクスを身近に感じられたかもしれない。そうするとぼくは外に連れ出されていくのを感じる。社会問題に直面し、言論市場の喧騒にも晒されて心が乱れることになる。斎藤幸平の批判者は影響力が増すに従って多くなり、同じ陣営でも多くの賛同者の他に、違和感という無理解に囲まれる。本人は批判には慣れていてタフなのだろうが、ぼくは慣れていないから疲れる。だから、内部に引きこもりたくなって心理学の世界に行きたくなったのだろう。フロイト精神分析という学問の創始者だ。創業者の苦労から立ち上がっているので鍛えられていることが分かる。強靭な論理で自分の学問を守っている。「精神分析入門」は医師と一般聴衆を前にした講演集なのだが、まるで法廷の弁護士のように弁論している。「唯識の心理学」はまだ読んでいないが、サラリーマンの時の唯識との衝撃的な出会いを思い出して、あの頃の自分に帰ってみたいと思っていたのだった。こうやって書いてきてみると少し落ち着いてきた。ちょっと急ぎすぎていたかもしれない。内と外はやはりバランスで、どちらも必要だということだ。