開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

奴隷の人生と貴族の人生

定年退職後の毎日を読書とテニスと母親のケアで過ごしているが、空いた時間は自分の過去の回想に当てているというか、自然にそうなっている。今日思うのは、就職することの人生の総合評価についてになる。就職する前の学生時代と、退職後の年金生活は、就職中の会社員時代とは大きく異なっているということだ。働く、ないし労働することと、無職で働かない状態は、ほとんど種類の違う人生になる。当たり前のことだが、その違いがあまりにも決定的だという感慨は、今になってますます思うようになる。私のご同輩はほとんどが働く間の人生に価値を置いていると思うが、私は反対に働かない方の価値の方をとる。働かない方が人間的で自分を感じられるからだ。これはあくまで自分がある企業に就職して得た判断なので、それをそのまま普遍化するつもりはない。おそらく個人事業主として働くのと、大企業の従業員として働くのと、中小企業の従業員として働くのでは、まるっきり異なる人生を歩むことになると思う。個人事業主と従業員の最大の違いは社会的に決められた定年があるということだ。私は定年を歓迎する。自分が健康なうちに2種類の全く違った人生を送れるからだ。奴隷の人生と貴族の人生の二つである。考えてみると、日本人はアメリカの奴隷としての人生(歴史)を送っているといえないこともない。もちろんすべての歴史においてというわけではない。歴史を知れば、いずれアメリカから独立しなければならないと多くの人々が目覚めるかも知れない。時間は大いにかかるかも知れないが、方向はそのように向かうしかないと思う。話は逸れたが、今の私は貴族の人生を送っている。(国民としてはアメリカの奴隷の人生だが)貴族は貴族としての素養を磨こうと思う。ひと世代前には知識人という貴族がいた。サルトル丸山真男だ。私の先輩たちはこの二人から学んでいる。後輩の私は後を継ごうと思う。

<注> 知識人とは、一つの「意味」ー 問題としての「世界」の構想的把握を完成させる者である。_____________ マックス・ウェーバー『宗教社会学』より