開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

文学と文学でないもの

東京大学で「人生に文学を」という公開講座があり、ネット上にオープンになっている。最近亡くなられた芥川賞作家、西村賢太さんの講義というか、文学研究者の阿部公彦氏とのトークが載っていて興味深かった。少し影響されもした。文学を生きている人の言葉が会場の参加者(多くは東大生と思われる)を魅了していた。ぼくの地元石川県七尾市藤澤清造という作家の名前をそこで初めて知った。そこでぼくが感じたことを書こうとしたのではない。「人生に文学を」という啓蒙運動を今にやろうとする意味はあると思うが、ぼくが改めて思ったのは文学はどこまでを扱って、どんなことが守備範囲以外かということだった。「文学に政治を」はかつて戦後文学のテーマでもあった。政治という分野には権力や組織や社会と個人の相克などの問題が含まれて、戦後派の文学者は取り組んできている。しかし、文学と政治思想を比べてみると、例えば国家の問題になると文学では捉えきれていないのではないかと思われる。もちろん、ぼくの知識が圧倒的に乏しいことはあるだろうが、近代小説で例えば日本の超国家主義を本質的に内面化しきれているだろうか?これも例えばで恐縮だが、加賀乙彦の「炎都」の二・二六事件のところを読んでも、軍国主義の精神は少しも感じ取れなかった。(失礼だが、その部分は新聞報道を元に書いている感じがして、文学になっていなかった。)古事記日本書紀の神話に国家の原型を見る研究はあるが、例えば、丸山真男が日本の軍国主義を分析して得た知見を批評や評論などの研究に生かされたりしているのだろうか?個人ではなく、天皇の臣民として生きた人々を内面化して描いた小説があるのだろうか? 個人という概念にそもそも馴染みがないのが我々日本人という気がする。文学は個人を追求する場所の最大のものだと思うが、例えば「非国民」という概念は文学の中で生きられないのだろうか?文学は最終的に国家を解体できない限り、戦争をやめさせる力は持てないのではないか、と思われる。そんな力があるとしての話だけれど、、、

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