開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

40年来の友人を失う

日記ではないのだから、特に今日あったことを書く必要はないはずなのだが、実際は定年後の生活の中で友人を失いそうな出来事は書くべきことのように思える。40年近く続いた家族ぐるみでのテニスづき合いが終わりそうなのである。サラリーマン時代はお互いに大目に見ていた人間性上の欠点が、積もり積もって耐えられなくなってしまった。Kさんの自己中心的な態度に、ぼくとOさんはとうとう決裂もやむを得ないということで一致したのだ。40年近くも続くなんてもったいないことではあるが、Kさんの奥さんとぼくの奥さんは仲が良かっただけに、失うものが大きい気はする。でも、ぼくの奥さんもぼくと同意見だった。Kさんは負うべき仲間内の義務を負わなかった。Oさんと僕たち夫婦は、テニスに関わる世話(コートを取ったり、仲間への連絡、ボールの管理等)をこれまで果たしてきたが、Kさんは負担が大きいと断ったのだった。Kさんは別のテニスグループにも席を置いていた。

こんなことは他人には全くどうでもいいことなのだろうが、意外と自分には喪失感があったので、定年後の人生というか、初期高齢者の「余生」にはこんなこともあるという事例としてもらえればいいと思う。一つの区切りのようなことが、この歳でも起こりうるということだ。もとより死別や事故や戦争などといった不幸ではないのだけれど、どんよりとした虚しさやどうしようもなさはある。できれば楽しくこの時期を送りたいと思っていたのに、そうはいかないのがリアルな人生だ。