開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

本の世界に目覚めたころ

現実に目に見えるのは、本という活字の塊で背表紙にタイトルというものが付いている。何が書いてあるか、読むまでは謎の状態でいつまでもじっと控えている。中学を卒業して友人の家に遊びによく行くようになって、友人の部屋の本棚にそれらが整然と収まっていた。今から思えば、友人のご両親は我が息子にそれだけの愛のある教育環境を整えていた。私の両親はそのような配慮は思いつかない階級に属していた。でも本は読まなければただのモノにとどまり続ける。私は友人より早く、本の世界に目覚めたかもしれない。1年ほどかけて次々にその本棚の世界文学全集を読み漁っていった。その中には、トルストイドストエフスキーも、スタンダールやロマンロランも、ゲーテヘルマン・ヘッセもあった。今でも、ロシアやフランスやドイツを思い浮かべる時に、何か特定はできないがその国の雰囲気を感じるのは、その時の読書によると思う。基本的に親しみを感じ、懐かしささえ感じる。それとその時の自分の少年のこころも、はっきりとではないが遠くに置き忘れてきたかのように記憶の中にある。実際にあったであろう過去の、私の少年期と渾然一体になっている。それは生活というにはあまりにも頼りないものだ。ほとんど夢の世界であって、記憶が定かでないので事実がどうだったかは確かめようがないくらい甘い世界に変容している。だからいいのかもしれない。自然と美化されて自分自身が特別な存在に思える。何も今更正体を暴くまでもない。夢見るような少年であった自分を愛おしく身にまとえばいいのだ。それはナルシスティックな振る舞いかもしれない。でもそれで神経症なんかにならなければいいでしょ、フロイト教授。

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