読書という行為を小さな集団で行う、読書会にはどのようなコンテンツが潜在しているのだろうか。同じ一つの本を読むことの中にまず何かがありそうだ。同じ本を同時に読むことで、読み方の差異が現れる。何を読み取ったのか、各人の読解のフィルタの違いが話してみると理解できて、お互いの理解の更新ができる。繰り返していくうちに自然と仲良しになる。読書会内部の理解とともに、本の作者との理解もいくつかの視点から吸収できるので、ある程度立体的になされる。また、みんなで読むことは作者の構成した時空間と心理世界の巧妙なカラクリを明証にする、共同作業でもある。うまく探れると知的感興がある。その楽しさが読書会継続の源泉になる。いつも上手くいくわけではもちろんない。個人の昔話に一部の人が強引に持って行ったり、小説の細部にマニアックにこだわって調べる方に脱線したり、単なる世間話に流れたりすることもある。それはそれでご愛嬌ということで、何とか集中力をその本の中に持っていく手腕も試される。私は元々無口な方だったが、読書会のおかげで話し方を少しは覚えたかもしれない。飽きずに運営していくコツは、決して人の意見をおろそかにしないことだと思っている。