開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

自分史再び始める_1

このまま大した事もなく順調に老いていって僕の人生も終了になっていくのかと思いつめていた頃、どうしてもAのことが気にかかり始めていた。苦しくて何も手につかないほど身いっぱいAと関わっていた頃が、自分の人生にとって、ともかくも重要な意味を増してきていた。振り返ってみて多くの人物と関わってきた中で、やはりAは特別に思えた。あれから40年近く経っているけれど、何とか再会する手立てはないものかと考えていた。電話番号も住所ももう会うことはないだろうと聞かなかった。その頃、妻はまだ定年まで1年ありフルタイムで働いていた。僕はもう定年を過ぎ働いていなかった。妻から離れて独身者のように平日を過ごしていた1年間は、何とも精神的に不安定だった。定年を迎えた年は免疫力も落ちたのか、帯状疱疹になっていた。おまけに1年間、左手が肩以上に突然上がらなくなった。帯状疱疹抗生物質の飲み薬を飲んで直ぐに回復したが、左手は整形外科に通っても少しも改善しなかった。毎日特に何かをするということがなく、整形外科に行くほかは昼飯の外食と図書館と本屋ぐらいしか行くところがなかった。ブログは書き始めていて、定年後どう過ごすかはいつもブログに書いていた。これまでの半生を振り返ることが多く、自分が一番輝いていた頃を思い出して書いてみようとしていた。会社員時代は自分を殺していたので、会社を定年になってからは自分を取り戻すことが取り敢えず最初のやるべきことのように思えた。そこでAが再び僕の脳裏に浮かび上がってきたのだった。

Aとの別れは僕の方から一方的に、しようがなく告げたものだった。付き合い始めた最初の頃は、男の僕が何かとリードしなくちゃと考えていて、Aがどんな気持ちでいるか何を考えているかなどは気にならなかった。どういうわけかその頃の僕は自信があって、彼女に付き合っている男がいても気にならなかった。僕たちは同級生でエイティーンだった。今から思うと、Aにとっても僕との付き合いは自分の人生の行路選択の一つに入っていたと思う。何も自惚れてこれを書いているわけじゃなくて、今の時点で出来るだけ実情に近いように、文章の上で再現してみたいと思うからだ。むしろあの当時(エイティーンだった時)の方は余裕がなく俯瞰して自分を見たりすることはできなかった。でも定年後のあの頃は有り余るほどの時間を持て余していた。定年後になって、Aを距離を置いて見ることができようになって、改めて誠実な思いで振り返ってみようと思っていた。僕にとってAは掛け替えのない人だ。Aにとって僕はどういう男だったのだろう? それを本人からどうしても訊いてみたくなっていた、、、