ぼくの非日常を求める性向が誤ってAを美化して描いている(こころの中で)のではないかと反省させられた。本当は日常の方に生きている実質があるのであり、もっともっとFの方を(こころの中で)理想化して描かなければならない。Fのことは地味で控えめであるのでつい見逃してしまうことが多い。現実にしか興味がなく、ぼくが熱くなって語ろうとする事柄にはたいがい冷淡である。しかしいつもぼくのことを気にかけてくれているのが分かる。いつもと違っていたりするとどうしてと訊いてくる。朝遅くまでパジャマでいるのに、着替えが早いと何処かに今日はお出かけ?と訊いてくる。別にと応えるが内心可笑しくて笑いをこらえている。Aは過去の人だ。過去にいる人だから安心して回想できるのかもしれない。本の世界で奔放に生きる人だ。本の世界から連れ出してはいけないのだ。
現実に事実を積み重ねる自分史と、非現実のあり得たかもしれない自分史というものも書いてみたい。どう足掻いてみても現実はこうでしかないという人生にFがいる。可能性を想像的に生きる人生にAがいる。勝手なものだと内心呆れもするが、何も起こらない日常の平坦さにくたびれないようにするには、それもいいのではないか、、、