山本哲士著「哲学する日本」(新書543ページ)の3分の1まで読んで、これはスゴイと思った。これを読む前と読んだ後では、ぼくの残りの人生が大きく変化すると思われた。日本語の述語制が思考の普遍性まで行くことを、チャイコフスキーの交響曲第4番とモネの「睡蓮」の芸術論に展開して見せたのは圧巻だった。小林秀雄の芸術論を近代の限界として鮮やかに否定して見せて、ぼくには爽快感さえあった。ということで、ぼくはまた自分の住む領域が美術にあることを再認識する機会となった。もともと大学が美大だったので美術には親しみを感じているし、何か一つの分野を教養の柱にしたいと戦略思考もかつてはあった。残りの人生を美術を中心とした芸術の情緒的摂取に当てたいという欲望が湧いてきた。山本哲士の述語理解をもとに、芸術作品の鑑賞を述語的記述でやってみたい、それをこれからの書くためのコンテンツとしたいと思う。山本哲士によれば、美術批評ないし評論という分野は小林秀雄から依然として先に進んでいないそうなのだ。とにかく、述語制、主体と客体の非分離、場所、非自己という基本的な概念を自分のものにできれば、全く新しい評論の方法が開かれることになる。それほど、この本の理論には力が秘められていると思う。ただし、読むのに慣れが必要で読みこなすには精読以外に道はないと思う。それだけ競合が少ない分野であることも確かである。