今の世の中で、将来明るいと感じている人はどれくらいいるだろうか。将来がとても明るいとは言えず、何となく生きづらさを抱えている人の方が多いだろうか?このはてなブログで書いている人でいうと、将来明るいと感じている人とそうでない人の割合は、2対8ぐらいではないだろうか。将来不安に感じているから書くことによって少しばかりの自信を回復する、というような書き手が多いような気がする。他人の不幸は蜜の味という。他人の不幸な状況を読んで、自分はそこまでではないと安心したりすることはないだろうか。そんなことはないという人も、他人の自慢話には聞く耳を持たないだろう。自分の将来は明るいと喜んでいる人の記事を読まされるのは、うんざりで何か損をしたような気分になるかもしれない。ところで、ぼくは今日、自分の将来は明るいということを書くつもりである。さてあなたはここで読むのをやめて去って行ってしまうだろうか。ぼくはもう70歳に手が届きそうな年齢になってようやく、将来が明るいと感じ始めている。運が回ってきた感じがする。それはぼくの周りの環境がぼくの望んだ方向に進んでいる、という実感が持てたということだ。自分が若い頃に悩んで苦労して進んできた道を、周りの人たちが進もうとしていると感じられる。だから自分が優位に立てると思える。ぼくより上の年代の人は、デジタル環境にアレルギーを感じている人が多いことが、今日野々市市の文化協会理事会で明らかになった。スガシカオの歌 progressに、「本当はシメシメと思っていた」という歌詞があるけれど、その感じを味わってぼくの将来は明るいと思ったのだった。