開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

母のこと

先日からいつもより忙しかった。今の季節柄でいうと、卯辰山兼六園から見て向い側にあるこんもりとした、ほとんど台地のような山)の中腹にある菖蒲園に行った。今の時期、「日展」が東京から巡回して開催されるのを友人からチケットをもらって、妻と久しぶりの美術鑑賞をした。毎週火曜日は、柳澤先生の古典文学(源氏物語万葉集の読解)の教室の後は、母を整形外科の病院に送り迎えしている。今月は読書会の総会と野々市市の文化協会の総会もあった。文化協会のホームページに掲載する原稿も書いた。テニス教室には週2で通っている。やはり忙しかった。今日何もない土曜日で、動から静に戻った。そう言えば書き忘れたことを思い出した。最近読書で、ミシェル・フーコーの解説本を読んで、少し分かり始めたことも自分としては大きな出来事でもある。とにかく心身ともに動いたここ二週間ほどだった。そして静かになってみると、何か生まれているようなうごめきを心の底に感じる。それは愛情のような、あったかい小さなものだ。おそらく母に関わっている。ぼくたち兄弟の育った家庭環境は、味気ないものだった。最近母の意外な冷たさに気づいて、その影響があったかもしれないと思ったことがあった。自分だけが冷たいとこれまで思ってきたが、それは育った環境の中で母に原因の一つがあったのかもしれないと考え直したのだった。そのことで、逆に母との距離が縮まった感じを受けたのではないかと思う。今の心の中に芽生えた、温かいものの正体はおそらくそれだ。