自分が決めてその通りできることは、できるだけ厳密に考えて実行しようと思う。どんな本を読むかは、決められることだ。江藤淳という批評家は、フォニーという批評基準を持っていて、自分もその基準に従いたい。作者はその作品を書くのに、内的必然性を持っているのか、単に職業的に書いているのならフォニーなのだ。小説家本人も自分の置かれた実存的場所で、自分の生き方を賭けて書いているはずである。どこまで追い詰めて書いているかは、読んでわかるはずだ。確かに一度は読んでみなければ分からない。二度目はもう読まないと決めることができる。人生は長いようで短い。短いようで長い。自分が生きた証は、確かに自分はこの時代に生きたと実感できる「感慨」を持つことだ。21世紀の今がどのような時代であるかは、それ以前の世紀に何があったかを知る量によって判断の精度が異なるだろう。民主主義は、ファシズムになるか全体主義になるかの政治的傾向を持っている。今ウクライナに義勇兵として参加している西側諸国の国民がいる。かつてヘミングウェイは義勇兵として、スペインのフランコ独裁に立ち向かって戦った。その時代の作家は戦争にも自分の実存的場所を持っていた。21世紀の戦争は、あまりにも情報の垣根が低く、我々のような個人にもインターネットを通じて行われる時代だ。自分の「義」が果たしてフェイク情報に基づいて利用されてないかを見極めるには、冷静な「知」が必要だ。