開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

ニヒリズムを解決する

昨日のブログで、自らに与えた質問に答えてみたい。私はどんな問題を解決するために生まれてきたのか、という最大にして唯一の質問に。何となくこの辺りに問題がありそうだと感じるのは、本を読むことが自分に固有な問題のように思える。高校1年の夏休みに、カミユの「異邦人」を読んで何かが根本的に変わったと思える。殺人と主人公の死に直面した。主人公が死んだのにどうしてこの小説が書かれてあるのか、というピンボケした感想を抱いたことを覚えている。小説中の出来事と小説として書かれた作品との一致が奇妙に思えたのだ。つまり作者と主人公は一体のように信じ込んでいたらしい。自分が死んだことを自分で書いている、という錯覚にしばらく捕らわれていた。あの当時は、それほど小説の中に入り込んでいた。それは純粋無垢の少年が無法地帯に放り出されて、愛のない無感情の人間の息を吸い込んでしまうようなものだった。あるいは、イスラム過激派の社会で自爆テロリストに育てられる少年のようだった。すっかりニヒリストに(観念的に)育ったと思う。〇〇に「かぶれる」という言葉があるが、その「かぶれる」に、ぼくの読書はなっていたと思える。それは、今から思えば間違った読み方をしていたということだ。批評精神などは全くなかった。これは、どういう問題を孕んでいるのだろうか? ぼくは親や学校から適切に「保護」されていなかった、ということだろうか。「思想」には何らかの免疫を持って保護される必要がある、ということだろうか。 ぼくは読んだ本によって、生き方を左右される人間だった。よく、小説はエンターテイメントだと割り切って読む人がいるが、そんな読書とぼくの読書は最も離れている。さてそろそろ最初の質問に戻って考えてみよう。私はどんな問題を解決するために生まれてきたのか?ひとまずの答えとして、ニヒリズムを解決するため、ということが言えそうである。ニヒリズムを解決するには、ニヒリズムを全身で受け止め、そこから自力で這い上がる必要がある。