前回ブログの続きを書きたい。自分は何を解決すべく生まれたかの、とりあえずの答えはニヒリズムだと書いた。果たしてそうかとずっと考えていた。ニヒリズムという哲学的な問題にすると大きすぎてぼくの手に負えなくなるし、問題が拡散しすぎると思えた。つまり、自分の問題から離れていく感じがした。自分の問題に引き寄せてみると、ニヒリズムはぼくの孤独を一層増すことになり、ニヒリズムの底には自分しかいないことがひしひしと分かった。そして、ニヒリズムを克服するとは、自分を信用するしかないという、自己肯定に進むことだった。かつてのぼくは、この自己肯定にウェイン・ダイアーなどの自己啓発に導かれたこともあった。安易な解決をその当時は望んだのだった。しかしそれは心に沈殿しなかった。最大の自己肯定は、「黒い雨」を読んで最深の底まで到達することで反転できたのかもしれない。「異邦人」を読んで観念的なニヒリストになったが、現実に起きた原爆投下という破壊の前に観念は吹き飛ばされた。被爆者から自分も生きなければならないと思って、生き残った自分から出発しようとした。ニヒリズムの克服という問題は、ぼくにはそういうプロセスだった。
● 「黒い雨」を読んで