自分の過去のブログを読んだ。「高校時代に永遠化されたもの」と題されたものだ。そこで高校時代が祈りの時期だったと書いていた。自分の心に、イノセントで甘やかな永遠を賛美する信仰心を育てるものだった。今それを分析してみると、社会に出て行きたくないという、抵抗を内面に作ろうとしたのだと思える。大人になりたくなかったのだ。それは人類の歴史では普通、通過儀礼などで強制的に破壊すべき、自我の殻なのだったかも知れない。そこで大人になりきれなかったら、その後甘えた人生になっていたかも知れない。その頃ぼくは何とかして自力でその壁を破ったのだろう。受験勉強に集中して何とか入学試験をパスして大学に進むことで、「通過」はしたのだ。試験勉強は有無を言わさぬ強制の下に自分を置くことだ。ぼくがここで問題にしたいのは、強制下に置かれた自分ではなくて、強制する方の自分である。どうしても大学には進んで、「通過」したいと考え実行に移した自分は、言わば高校時代の「信仰」を絶ったのだ。それは哲学的に表現するとすれば、高校時代の信仰を対象化できる位置に自分を押し上げたことになる。信仰を絶つが信仰を記述することはできる。そこで初めて信仰がどういうものだったかを振り返り、見ることができる。 先のブログでは、その信仰の世界を、甘やかさがあって、痺れるようであり、悩ましさを伴い、少し悲しみが混ざっている。大自然に開かれたというより、画家の工房のような狭さの中で夢見るような空間」と書いていた。今のぼくの知識で言えば、その空間は「詩的」空間であり、「自己表出」のエロスであり、芸術行為である。
こうやって書いてみると、ぼくは大学を美大に選んだのは自分の信仰心を生かす環境に進みたいと考えたからだと分かる。しかしその選択は半分正しかったが、半分間違っていた。それは新たな環境を予め知ることは十分には出来ないから致し方ないことであった。自分の信仰と美大という環境は、半分だけクロスしていた。美大は確かに芸術行為を学ぶ場所ではあったが、造形的な美の表現行為の場所であってぼくの信仰を表現する技術(アート)を学ばせてくれる場所ではなかった。確かに今のぼくの理解には、造形美術と言語芸術としての詩には共通するものがあるのは確かだ。高村光太郎は詩人であり彫刻家だった。
現在69歳の自分が注目すべきなのは、今も生きている自分の中の芸術行為の源泉である、自己表出エロスである。それはリビドーであり、生命力に直接繋がっている。高校時代に芽生えたエネルギーのかたちに出口を見出さなければ、現在の自分も枯渇するだろう。