開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

ぼくという主体を立てること

出来るだけ正直に自分の実力というか人間性というか、客観的に自己評価してみて思うのは、「ぼく」という主語を持っていることだと思う。ぼくは、で書くことができることを最大の強みに思っている。世界に「ぼく」で対決する手段を持っていることを救いだとさえ感じている。このブログを書き出す前はそうではなかったと思う。最初は、ぼくはと書いてからまるっきり続かなかった。一旦自分の無力を感じたら、どこまでも落ち込んでいたと思う。今ではどこかでその動きを食い止めることができる。友達が一人もいなくなっても、自分だけは(書く主体としての自分は)友達でい続けることができる。寂しすぎるという人もいるかもしれないが、絶対的な安心がそれで得られるとしたらそれに勝るものはない、と思う。書く自由という場所を手放さなければいいのだ。

今日ふと、ぼくは自分の人生で全く孤立していた頃を思い出していた。周囲から全く見捨てられていた時の感情を思い出すとそれ以上に辛いことがあるのかと思う。共同体からの疎外という文学・哲学的な問題でもあるのだけれど、(逆にいうと共同体の一員と感じられる時の安心感は格別なのであるが)ことさら難しくする必要もない。ぼく達は喪失感の時代に生きている、とも言える。村上春樹はそのことを小説化した。その小説の中にいる間は、孤立感は解消される。

今ではぼくは強くなっているが、とても弱い男であったことも確かだ。弱かった時のことも隠さず肯定したいと思う。