開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

「ドライブ・マイ・カー」読後感

「ドライブ・マイ・カー」の感想を書く。映画は見てないので村上春樹原作の方だ。2回読んで、最初は書いてあるままをそのまま自分にインプットする読み方だが、2回目は作者の村上春樹の頭の中を想像しながら読んだ。もちろん2回目の方が圧倒的に面白かった。おそらく本人自身が書き上げた充実感のままに、ぼくの読後感も充実していた。こんな読後感も久しぶりだ。長編の読後も達成感があるが、短編の読後は余韻に浸れる。読後にしばしば小説にあった細部の感じを味わい直したりした。おそらく春樹ワールドに馴染んでいる読者はぼくと同じように、すべての小説を同じテーマで手を変え品を変えて書いていると感じていると思う。この「ドライブ・マイ・カー」も、妻が残した謎を知ろうと不倫相手から真実を探ろうとするプロセスが描かれている。今回は子宮癌で死んでいるが、失踪や自殺の設定とそう違わない。主人公の「家福」は俳優で、演技と素の自分の境目が曖昧な設定なのは、「うそ」の文学である小説の作者(「風の歌を聴け」のあとがきでデレク・ハートフィールドという架空の作家から学んだと書いている)と類似している。伴走者の「みさき」は「羊をめぐる冒険」の「完璧な耳を持つ女の子や「ダンス・ダンス・ダンス」の「ユミヨシさん」の役回りだ。そして妻の「音」は、「風の歌を聴け」の「三人目のガール・フレンド」や「ノルウェイの森」の「直子」に当たるだろう。

終盤に至って、「みさき」が「音」のセックスは女という性の病気のようなもので、夫であるあなたとは友人でもある固い絆で結ばれていたと思う、と慰めていた。娘ほど年下の女から洞察に満ちた「回答」を得て、何だか常識的に明日も生きようというような肯定で終わるのが何とも「反小説」的で良かった。