ビートルズが「リボルバー」や「ラバーソウル」でガンガンヒットを飛ばしていた頃、世界中のティーンエイジャーに熱狂的に迎え入れられていた。「マジカル・ミステリー・ツアー」にまだ行かないまでのビートルズの曲が好きだ。しっかり女の子の心をつかんでいたbeatとharmony。その世界が今のぼくにとって幸福を感じさせる。通過儀礼でしかない未成年の夢想がとても貴重に思える。未熟で未完成で可能性だけしかない自閉的な世界を、ぼくも確実に生きていたことがあの頃のビートルズと共に思い出される。子供でも大人でもない、社会に出る前の永遠のモラトリアムにどんな熱狂が隠されているのだろうか?大人の女性にだって永遠に少女の部分はあるだろう。感情の死ぬまで枯れることのない純情さは、切なさの近くにあるかもしれない。母になる強さではなく、姉や妹としての、あるいは一人の少女としての強さがあるような気がする。精神的貴族としての誇りやキャリアウーマンのような強さでなく、小さく可憐で弱いものに無意識に応答する、自然のこころの強さというべきものがあると思う。あえて文化的なこころ、と呼んでみたい。定年退職してから、不思議とそういう女性ばかりに取り囲まれている気がする。