定年になって9年経って、もはや定年後として今をとらえることが意味をなさなくなっている。隠居の日常ではもとよりない。歳をとった万年青年といった感じか、怪しい浮浪者のようかもしれない。確かに自宅に定住しているが、意識は無国籍の自由人なのである。中身が自由な浮浪者なら、外見は素性のはっきりした善良な市民のスタイルを偽装する必要がある。ぼくは定年後伸ばしていた髪を昨年から、七三分けのノーマルカットにさえしている。それまではロックミュージシャンのように真ん中で分け長髪にしていたのだが、それだと本当の浮浪者に見えたのでやめることにした。サッパリしてみるとその方が似合っていることに気づいた。この歳になって初めて自分の髪型が決まったということは、人生の大半を損してしまったかも知れない。
さて私はここ数年定年後の習慣を固めて、隙間に手持ち無沙汰になって気持ちが落ち込んだりするのを避けるようにしてきた。それがここ最近つまらなくなってきて、せっかく作った習慣を破りたくなった。第一に読書会に入ったために、読む本がつまらなくなった。別に仲間に趣味まで合わせる必要はないはずだが、円滑に進めようとすると順応してしまう。テニス教室も読書会も古典文学の会もみんな女性中心だ。別に悪ぶるわけではないが、うまく飼いならされているような気がして野生を取り戻したくなる。そこでこれから詩を読むことにした。「悪の華」のボードレールだ。そういえば、人文書院刊のボードレール全集を持っているのだった。