学習に専念するためにブログ投稿をしばらく休みますと、お知らせして24日経過しました。この間、学習に専念できたかというとできませんでした。ヘーゲルの「精神現象学」を読んで西洋哲学のメインストリームを学ぼうと意気込んでいたのですが、ブログを休んだところで集中はできないことがわかりました。逆にそれの進捗を図るためにブログを読書日記として活用した方がいいと思って、このブログを再開することにしました。
今日は始めにどうしてヘーゲルの「精神現象学」なのかについて書いておきます。難解で知られるその本は学生時代から何度も挫折していたもので、学習に専念したいと思わせたのは、加藤尚武の「ヘーゲル『精神現象学入門』入門」を読んで思わず理解ができたからでした。加藤尚武の解説が全て理解できたというわけではないものの、ヘーゲルの哲学の方法論がつかめた気がしました。それは自己意識を実体(生きていてあらゆるものの土台を作る)としたことで、自己意識は自分の自己意識と同じで、読んで理解できればヘーゲルの絶対知まで認識できる、と思えたからです。その絶対知はそれまでの西洋哲学の到達点とキリスト教とギリシャ以来のヨーロッパの教養を吸収したものになり、一つの哲学書で西洋文化が分かる内容を持っているのです。ぼくにとっては特に教養という文化貯蔵庫を手に入れる魅力がありました。ちょうど源氏物語が日本文化の貯蔵庫であるように、西洋ではヘーゲルの「精神現象学」なのです。